昭和40年1月22日 夜の御理解

 これだけの人が一緒にご祈念をしておって、静かな静かなご祈念でしたね。今晩のご祈念は。皆さん、眠となったと違うですか。私は古賀(コガ)先生とふたりでご祈念しよるとかと思いよった。そんなことでは皆さんおかげは受けられませんよ。ね。成程、神様は思いだけでも神様には通います。ね。改まらせて頂くことにも、磨かせて頂くことにも、もちろん、一生懸命な、それであればおかげを頂きます。けれども、皆さん、改まってばしおりますか。本気で磨いてばしおりますか。ね。
 それだけすがっとるとでしょうが。すがるならすがる。ご祈念が一生懸命で出けなきゃできません。人間の不思議です。拝むでも一生懸命、大祓、天津祝詞。ね。例えば奏上させて頂いて、一生懸命に奏上させて頂いてご祈念さして頂いておりますとね、もう何もかにも忘れます。忘れるというものは、そんないろんな雑念が入ってまいりません。心配のあるものは、その心配がどこへか吹っ飛んでしまいます。そういう状態のときに、神様はお働きかけあい、おかげが頂けれるのですよ。ね。
 成程、神様を拝むのじゃない、自分で自分の心が拝めるようになることであると。なら皆さんが、自分で自分の心が拝めるような修行ばしとりますか。出来てはいないでしょうが。そんなら拝むことなっと一生懸命拝まにゃあなた。ね。私どもは、もうここ15年間、私、修行させて頂く前は、もう神様に、一日百巻の大祓あげました。私一人であげられません時には、家内が10巻、20巻、手伝うとりました。ね。
 いつも最近、桜井(サクライ)先生に、神様がご祈念のときに求め給うのは、大祓5巻。大祓10巻。「どこそこにやらせて頂きます」「大祓10巻あげて行け」て言うて、お指図があるということでございます。ね。ある場合には「神のお礼のために大祓30巻あげい」とおっしゃることもあるそうです。
これだけの人数がおって、あなた、この小さいお広前がわれるぐらいな、だいたい、いうなら、ご祈念が出きなきゃうそです。私は、いつもかつもここで拝むことは私は許しません。何故って、いつもここで御理解があっておりますから御理解のじゃまになるから。その時に心中祈念と同時にです、御理解を頂くことの方がおかげだと私は思いますから、それ申しません。ご祈念の時間にご祈念をするのにです、私と古賀(コガ)先生が一生懸命あげとるだけじゃないですか。大祓を知らんのなら、天津祝詞の本を買いなさい。その祝詞本を見てから、先生のそれに、いっしょに奉唱さしてもらうんです。
 椛目では非常にご祈念をおろそかに致します。一年も二年もお参りさして頂きよって、まあだ大祓の1巻が、ようあがらんようでどうします。よその教会では、例えば、総代幹部になりますとねえ、先生がおられん時には、その幹部さんが先唱して、みんなの大祓をいっしょにご祈念を致します。理屈じゃないです信心は。ね。一生懸命というて一生懸命じゃない証拠です。一生懸命の信心。「話しを聞くばかりが能ではない。わが心からも練りだせ」ハァご祈念のしようが悪かじゃなかじゃろか。ね。
 皆さんのご祈念の内容を一遍、紙に書いてここに出してごらんなさい。こんなこっちゃ神様へ通じんはずだといったようなご祈念をしよるです、内容が。それが久富(ヒサドミ)先生をしてそうだったのですから。ね。昨夜のご祈念の後に、奉書紙一枚に自分のご祈念の内容をあれこれと書いておられました。今朝から私皆さんに申しました。ね。久富(ヒサドミ)先生がこれで、これじゃおかげの頂けんはずばなと私申しました。ね。どこに日頃の教えを頂いておるか。
 
 昨日、福岡の月次祭でした。こちらからむつやの茂(シゲル)さんと信司(シンジ)さんがおかげを頂いたそうです。朝方二時ごろまで、まあ、信心の共励をしたということです。最近、信心が地におちてしまっておる。何か次々といわば甘いゲンコツです。甘いお気付を頂きよります。ね。人が金をせびりに来たり、何にもならん金を出さねばならないような事になったり、この頃からは、番頭さんが衝突してから、単車がめちゃくちゃになった。ところが不思議にその番頭さんだけはカスリ傷ひとつしていなかった。
 2、3日前だった。少し感じたごとある。田代(タシロ)さんも信司さんも、それから毎日お参りしてくる。そうして文男(フミオ)先生に誘われて、ま、昨日、福岡のお月次祭におかげを頂いてから、まーいろいろ信心を聞かせて頂いて、こりゃあ、こげなこっちゃいかん。しっかりやらにゃいかん。ていう気持ちになったらしい。今日も昼、ちょうど田代(タシロ)さんが、私がまだ座っておりましたから、午前中だったでしょう。11時頃だったでしょう。お参りをさせて頂いてから、「信司が本気で少し信心する気分になったごとございます。茂さんも信心してくれよります。おかげを頂いて」と言うてとお届けのありよるところに、むつやから電話がかかってきた。なかばに立って、電話をきってこられて、「先生、ただいま税務署から、ぬきうちてきに調査に来ております」「ハア良かったなぁ。あんたがおらんでから」と、私申しました。先程、今日あちらの共励会ですから、信司(シンジ)さんと茂(シゲル)さんと二人、おむかえに、先生方を迎えに来ました。ほんとに、お母さんがおってもろうては困ることがあった。
 これはまあ税務署が悪いちゅうわけじゃないでしょうけれども、やはり商売でもしておればです、やはり税務署は、ほんとにまあいうならマムシのように嫌われておるわけです。まあ来てもらわにゃ来てもらわん方がいいです。私、そのことをお願いさしてもらいよりましたらね、『マムシが、こんな二つ竹を割ったようなやつで、首をこうやって、はさむところを頂いた』
 だからあの決して、ほんとにもう、要らん者が来たという思いどもしなさんな。最近の私の信心は、毒薬を変じて薬にしようということなのだから。ね。もうほんとに、こげな人が、こげな奴がというごたる人でもです、例えば、あのそれがこうと言うて、来らしよる訳ではないけれどもです、私の信心を邪魔に来るような、例えば、人もありますけれどもです、それを私は、もうほんとに、信心でおかげ頂いていくと、その人がほんとにおらなきゃ困るというような薬になっておるおかげを頂いておる。
 今年になって特に私はそれを思う。ですから税務署とてもいうならば、マムシのように嫌わずに、そのマムシを変じて薬にするような、有難ーい勿体ないという、有難き勿体なき、恐れ多きという、いわば焼酎なら焼酎アルコール分に漬けさせて頂いてです、薬になるようなおかげ頂きなさいと。だから驚くことはいりません。日頃の信心でぴしゃっとその、それを毒薬変じて薬にするだけのおかげを頂きなさい。と言うておかげ頂きましたところが、調べも簡単で、また改めて、いついつ来るということだった。
 その時、もう少し分かりよくしておいてくれ、ということで、えーまあご主人がおられんから、というので帰った。ね、お繰り合わせ頂いたわけ。この辺のところ、ちょっと皆さんが考えなきゃいけない事がある。「信心に実が入って来ると必ずお試しがありますぞ」と言うて教祖の神様は、もうご晩年の頃、この事を、必ず参って来る信者に仰ったという事でございます「信心に実が入って来るとお試しがありますぞ」または本当におかげを下さる前には、必ずお試しがあるものです。
 
 私は、夕方あっちから迎えに来ます。それで私、お風呂に入らせて頂いて、お風呂の湯つぼの中で、今晩の共励会のことをお願いさしてもらいよりましたら、信司(シンジ)さんと茂(シゲル)さんの事を頂きますから、あのどんなことだろうかと思ったら、あの人偏に山という、仙人の『仙』という字を頂くのです。字で。ね。人の、いわゆる修行ということです。修行さして頂いておるときには、必ず神様が、ほんとに修行をするという気になると、神様が修行させなさるです。ほんとに修行する気があるだろうかというとこです。ね。
 本気で修行しようと思うたらです、神様が、修行のしにくいような事があるです、必ず。何故って本人が修行したいという意欲になっておるから、神様が修行させなさるのです。それを受けて立つためには、私、一生懸命のね、一生懸命の信心ということはです、例えば、ね。ほんとにご神前に座ったら、大祓の5巻も10巻も、一生懸命腹の底からあげさせて頂くような一生懸命さというものがある時でなからなければね、その神様の、お試しを見事に受け抜いていききらんですたい。
 「ハア昨日、福岡までも参って、有り難いと思うて、話をして帰って来たら、もう今日はぐしゃっとするようなことが起こった」なんていうことでは。ハアー、これこそ神様のご都合だな、お試しだな、と、こう有り難い、勿体ないで頂いて、その税務署なら税務署という、ひらくちのようなものがですたい、ね。有り難い、勿体なきの焼酎漬けになって、かえってそれがおかげのもとになるのです。ね。
 大祓、いねむり半分の、例えば、ご祈念にですよ、ご祈念しとってから一生懸命と言われるもんですか。ね。5年も10年も10何年も椛目に通うている人達がずらり並んでおってから。ねえ。夏は汗んでるけんで、そろっと大祓あぐる。冬は寒かけん、ガタガタふるうちから大祓もあげん。それではおかげになりませんよ。ね。それこそ夏なら夏、冬なら冬。冬ならもうそれこそ体が温もるごとあげんにゃいかん。
 夏でもほんな汗が、ご祈念いっぺんさせて頂いたら、汗びっしょりになって、シャツ着替えにゃおられんぐらいなおかげ頂いてごらんなさいて、いっぺん。私しゃご祈念の形のことやら、あんまり申しません。けれども私は今夜ばっかりは、いよいよこりぁ私と古賀(コガ)先生と二人でご祈念しよるばいなと私は思うたです。余り静かだから。ところがこれだけの人が居るじゃないですか。ね。それでいて一生懸命お願いしとります、と言ったって、それでは聞こえませんですよ。神様へ。ね。
 一生懸命の姿がです、ね、改まらせて頂くことでも一生懸命。磨かせて頂くことにも一生懸命。おすがりをするということにも一生懸命。ね。それでもなら大祓の声にでも、これだけ一生懸命でございます、ということを見せるぐらいな信心が出きなきゃどうします。ねえ。皆さん、まあだ何年になったっちゃ、大祓を覚えとらんとじゃありますめーね。覚えようと思うたら一晩でも覚えられますよ。本気になれば。本気にならなければ、神様は本気になっておかげは下さらんです。ねえ。
 そうして信心を、さまざまな時に本気になって信心をさしてもらうて、本気になって信心の徳を身に受けさせて頂くから、有り難い幸せの道が開けてくるのです。そのこと、ひとことふたことが成就するとかしないとか、ある意味においては問題じゃありません。ね。本当に信心を身につけるために、私は、ここ十何年間、大祓を続けて2巻とあげたことはございません。私どもは、ご本部参拝さしてもらいますと、奥城で一晩中ご祈念をさしてもらいました。大祓を声がかれるように奏上さしてもらいました。おそらく勝彦なんかもご本部ではそうだったんでしょう。声がもう大祓声になってしもうとります。ね。やはり一遍、そういうところを通らにゃいけんです。ね。
最近は、神様から私はお知らせ頂いて以来、この15年間余りというものは、もう大祓1巻にきめとります。その代わり、私といっしよにご本部参拝された方なら分かるでしょう。奥城に出てから、大祓1巻あげたら、冬でも顔が真っ赤になって汗が出ますから。だからそのくらい、その1巻の大祓に力を入れます。腹の底から。ね。
 拝む道を覚えただけじゃあいけませんけれどもです、ねえ、先ず、何というても拝む道を覚えにゃいけません。はじめの人はね、私が天津祝詞もいらん。大祓もいらん。人にものいうように頼みなさいと、私、こう申しますけれども、ねえ。ここへ毎晩、朝晩でもご祈念にお参りさせて頂くというほどしの人ならば、いつまでも、それであって良いはずがないじゃないですか。
 大祓のいわばあげるけいこをです、例えば桜井(サクライ)先生ではないけれども、5巻、10巻ずつぐらいひとつお供えさせて頂いて、自分の家のご神前で心の底からあげなさいと。あのリズムにですね、家族の者が酔います。信心のない者でもです、始めの間はやかましかというように思いよりますけれども、有り難い有り難い気持ちで大祓をあげよりますと、後ろに来て家の者がみんな座って大祓をあげるようになります。ね。ついてこにゃおられんのです。そういうようなふうにですね、おかげを頂いていかにゃいけんと私は思うです。ね。
 
 今日、古賀(コガ)先生がストーブのところで申しておりました。先生が、「ヤア!」ち言うて声をかけなさった時に、こっちが「ヤァ」と言うちょったちゃ、先生も力が入なさるめいと。何かのことから今日そんなことを言うておりました。それと同じことです。ね。
 相撲でもそうでしょうが。片一方が勢い込んで、バアッと行くときに、片一方はこうやって横向いたら、それで力が抜けてしまうでしょうが。私が、みなさんがおかげ頂きたいと、私が一生懸命になってから神様にお願いさして頂きよるなら、皆んなも一生懸命なってから、あーたご祈念でもさしてもらわじゃこて。
 ね。兵隊の時、よう、私どもそれで怒られました。「大坪」「ハァィ」ち言う。「大坪!」「ハイ!」ち言うて。ね。例えば、先生が「大坪」て言うたっちゃ、そっちの方で「ハイ!」というような気持ちがなからにゃ駄目です。ね。いわば、向こうが、自分はそれにひっかかるわけですよ。どのぐらいこの兵隊は元気があるじゃろうかと思うて、わざっとその「大坪」と気合を抜いたりしてやると、すると兵隊が「ハァーイ!」というて答えると、「よぉし元気があってよろしい」と言うようなことになるんですよ。そうではない、私自身がです、皆さんに大きな声で叫んでおるようなものじゃないでしょうか。「ヤアー!」と言うておるのに、そちらが「ヤァ」これではおかげ頂ける筈がないじゃないですか。考えてごらんなさい。ねえ。そういうようなことでは今年の15年祭はとても皆さん、本当に有り難い15年祭は迎えられませんよ。15年祭という記念の年はとても乗り越えられは出きられませんよ。ね。まあ今晩、参り合わされた方だけのことではありません。こりゃ椛目全体、そうなんですけれども。今晩、私は、いつも先生方があげますから、私は、皆さんもやっぱり、それにつけてあげておられるもんだとこう思うとった。今晩は先生方がおりません。古賀(コガ)先生だけですから。ハァハー、今日は、古賀(コガ)先生と二人でご祈念さしてもらいよるばいなと思いよった。ね。気合がない証拠です。神様と本気で4つに組んでです、本気で4つに組ませて頂くためにはです、も少し力を入れなければいけません。ねえ。私は、表行をどうこうと言わないですけれども、本気でお願いするときにはです、お水の一つでもかかってからでも、ご祈念さしてもらいなさいて。ねえ。
 それくらいな私は修行精神、ご祈念。いうならば、ある意味合いで修行でもあります。朝晩、必ずきちっとさしてもらうのですから。ね。でも私は、も少し信心のけいこをさして頂くならですね、そういういうところから、もうひとつ、これはまあ、形式とか形のことになりましょうけれども、ね。朗々として、大祓を一生懸命あげておる時には、自分の心の中に、ねえ、雑なものが入って来ません。
 ね。心中祈念させて頂いて、静かに、静かにご祈念さして頂いておってもです、ほぉと、神様と心中、心の中でお話し合いが出来るような、ご祈念ができるようになれば、これはまた別です。ね。どうぞおかげ頂かなきゃなりませんから、ひとつ元気で、ね、ほんとにご祈念が終わったら体が温もったというぐらいなご祈念なさらなければいけんと思うのですけれどもね。おかげ頂かなきゃいけません。